六 郷 の 渡 し 
六郷の渡しは、旧東海道における八幡塚村と川崎宿の間を結ぶ重要な渡船場であった。「北条記」に武田信玄の進入を阻止するため六郷橋を焼き落としたとある事から古くから橋はあったと思われるが、慶長五年(1600)家康が架橋し慶長十八年(1613)頃にも架け替え工事の記録がある。その後貞享五年(1688)の洪水で流失してから橋はかけなくなり、もっぱら渡船が用いられた。明治七年(1874)に地元の鈴木左内が有料の木橋をかけ、左内橋とよばれた。しかし、この橋も数次の洪水で流出の難にあい、金食い橋と言われ採算がとれず、事業的には失敗したようである。明治三十三年(1900)に京浜電気鉄道株式会社がこの橋を買収し、一般に無料で公開され、大正十四年(1925)先代のコンクリート橋が完成、渡船はこの時をもって消滅した。 所在地 
大田区東六郷
三ー二十五地先
北野神社I(仲六郷4−29)にある「六郷の渡し」標識柱、神社の鳥居の手前すぐ左にあります。実際の渡し場跡は、ここから東に行った、六郷橋の袂よりさらに東に150mくらい行った当たりになります。日本橋へ四里半とあり、約18qで江戸の起点(終点)日本橋に到着する。東海道を江戸へ歩いた旅人は、この標識をみてほっとしたことでしょう。↓ 絵にある「多摩川鉄橋」は、イギリス人W・W・カーギルの設計により明治四年(1871)11月に完成、翌明治五年(1882)5月に品川・横浜間の鉄道が仮開業下の二枚の絵は、共に明治四年(1871)に発行されている、開業前の不十分な情報をもとに描かれているので、橋梁や汽車に不正確な部分はあるが、明治期の六郷が良くしのばれる。歌川広重(三代)「六郷蒸気車往返之全図」↓
六郷橋の手前数百mを国道(右)と平行に進む旧東海道の一部(向かって左)ここは、六郷神社南神門前の道との交点に当たり近くに一里塚があった。旧道を真っ直ぐ行くと六郷の土手に突き当たり左に迂回しながら六郷の渡し場跡にでる。↓ 下の絵は、上流に向かって描かれたと思われますが、八幡塚村側の畑仕事の様子を良く伝えています。現在の鉄橋から六郷橋の下当たりの地形もこの絵と良く似ています。 昇斎一景「六郷蒸気車鉄道之図」明治四年(1871)↓
夕闇迫る川崎のビル街を六郷側から写す。右の鉄橋は、JR線です、ここ十数年の間にJR川崎駅周辺には大きな高層ビルが建ち並びその姿を大きく変えつつあります。↓ 下の絵は有名な広重の「東海道五拾三次之内 川崎 六郷渡舟」天保四・五年(1833・34)である。やはり六郷から川崎方面に向かって描かれたと思われます、左の写真と見比べて下さい。
現在でも晴れた日の朝や夕方には富士山や丹沢山系を見ることが出来ますが、当時はビルもなく大気もきれいだったので富士山もこの絵の様に見えていたのでしょう。 絵本 江戸土産 六郷舟渡 歌川広重 嘉永三年(1850)↓ この六郷と言うさほど広くない場所に江戸名所図絵に描かれている場所が三ヶ所もあります、古川薬師(安養寺)と六郷神社(八幡神社)と六郷の渡場です。さしずめ此の当たりは、当時の江戸近郊名所ツアーの一角をなしていたといえます。 江戸名所図会 六郷渡場 斉藤幸雄著 長谷川雪旦画 天保五・七年(1834・1836)↓
下は、六郷の渡しの写真です、これを見ると、渡し舟の大きなことに気が付きます。渡し舟には、大別すると人を乗せる歩行舟と牛馬を運ぶ馬舟の二種がありました。六郷には30人乗りの歩行舟6艘、馬舟が8艘あったといわれます。↓ 下図はまだ橋のなかった明治元年(1868)、明治天皇東幸の際に、舟を並べて板を渡した舟橋をかけて六郷川を渡りました。

魁斎芳年「武州六郷船渡図」 明治元年(1868)↓
下は、明治七年に八幡塚村の名主鈴木左内らが架けた江戸以来初めての木橋・左内橋(六郷橋)の橋脚。大正十四年に先代のコンクリート橋に架け替えた時ここに移し笠をつけ保存しています。六郷神社南神門をくぐり左手奧にあります。↓ 下の図は、上の明治天皇東幸における六郷船渡の船橋の見取り図である、川巾をはじめ係線や、錨の間隔や長さの値のほか費用まで書かれているのが興味深い。↓
下の写真は、六郷橋(右)から少し東に移動した土手の上から対岸の川崎を写したものです。渡し場は前方にあったと思われ旧海道はここを降り左に迂回しながら渡しを越えて右方向に曲がって現在の第一京浜国道を横切っていったと考えられます。↓ 下図参照 下の絵は東海道川崎宿で、多くの宿と人々の往来がわかります。特に中央に奈良茶飯で有名な「万年屋」の万の看板が見えます。膝栗毛で弥次喜多もここで奈良茶飯を食べるのですが、奈良茶飯は茶飯に大豆、小豆などをまぜたもので奈良の東大寺などで始めたのでこの名がついたらしい。万年屋は現在の六郷橋を川崎に向かい左側に降りた当たりにあったと思われます。
           
旧東海道は都内では現在の第一京浜国道(国道15号線)とほぼ同じ経路になりますが、所々で一致しない箇所もあります下の図は、六郷から川崎に至る旧東海道を太い点線で示しています。六郷神社を国道に出て南へ行くと国道に平行して進む道があります、これが旧東海道で六郷神社南神門前の道と交わる当たりではっきりと国道と別れます。此処に一里塚跡がありました、さらに南に数百m行くと六郷の土手に突き当たり六郷橋の真下から東に百五十m程の所が渡し跡になります。渡し場を上がると川崎ですぐ右が川会所跡になります。旧東海道はここから南西に向かい国道を横切るはずであるが、いまはこの旧道は、工場などになり面影を残す物はなにもない。万年屋は、旧道が国道を横断する手前左角にあったという。